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〜寺子屋ありがとう〜コラム vol.5 2011.7

寺子屋ありがとう
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生まれた時、ほとんどの子が、生まれたことを祝福され、なんの条件もなく自分がここにいることと、自分のことを喜んでもらえているという感覚に満たされています。

いつからなのでしょう。もうそろそろこんなことできなきゃ。最低限このくらいでなければ。
こうであってほしい、こうでなければという想いを、子どもの周りにいる経験豊かな大人が持ってしまいます。
これこそが、子どもが幸せになるための条件だという前提があってのことです。
子どもたちは、それで自分が認められるなら、喜んでもらえるなら、安心してもらえるなら。そんな気持ちで頑張ってその想いにこたえようとします。
大人が子どもをではなく、子どもが大人を一所懸命受け容れようとしてきた。
そんなことはないでしょうか。

やがて子どもたちも、多くの大人と同じように、こうでなければという思いが手放せなくなります。
そのままの自分でいいとは思えなくなります。
その状態で自信を持つには、何か根拠が必要だと思い込んでしまいます。

いつも誰かが周りにいてくれるか、どんな学校会社に進学したか就職したか、出世しているか、年収は高いか、権限はあるか、なにをどのくらい持っているか。
自信を持つために必要な根拠とは、誰かとの比較や競争により得られるものです。

それらの根拠があって自信を持てた人は幸せでしょうか。
誰かとの比較で自信を持てた人は、次は勝ったもの同士競わされ続けます。
また、この前は勝てたのに、今度は負けるのでは?そんな不安な気持ちも芽生えます。
比較や競争からは幸せになること、自信を保ち続けることは、誰もできないのではないでしょうか。

一人一人が本来持っている根拠のない自信。
なんの根拠もなくとも、このままの自分が大切だという想い、自己肯定感を取り戻すことなしに、今の子どもたちの問題は解決することはないと、私は感じています。

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